自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』への道 パート2
私が文章を書くのが好きになったきっかけはサッカーでした
しばらく思いつくまま自己紹介を書いています。『お前の自己紹介なんかに興味はない。』と言われそうですが(苦笑)もし多少なりともご興味がおありでしたらお付き合いくださいませ♪
サッカーと言いつつ、サッカーのユニフォームを着てマラソン大会に出走前の記念撮影(筆者は中央)
さて今回は、子供の頃から文章を書くのが大嫌いだった私が、文章を書く悦びに目覚めたいきさつについて書いてみます。
私がサラリーマンになって3年目の頃だったと記憶しているのですが、毎日昼休みに会社のグラウンドで行われている草サッカーに参加するようになりました。その日その日に来た人数をランダムにチーム分けして5vs5とか6vs6とかのミニゲーム(約20分間)でしたが、なかなか熱く真剣にやっていました。
でもある時
単にサッカーをやっているだけでは物足らない
と考えるようになった私は、毎日、誰が勝ち、誰が負け、誰が得点し、誰がアシストしたかを記録するようにしたのです。そしてそれを月末に集計し、勝率ランキングとか得点王などを選出するようにしました。さらにその集計結果に加えて、私なりに面白おかしく書いたコメントを添えて、最初は手配りで、途中からはEメール(が普及したので)で、参加者全員に配信したのです。
これが参加者たちのモチベーション向上に一役も二役も買ったようで、その後昼休みサッカーは参加者も増え、それまで以上に盛り上がるようになりました。
これに気を良くした私は、年間記録を集計したり、さらにこれが6年分溜まった時点で通算成績を集計して、併せて『昼休みサッカーの歴史』と題した相当に長い文章を書いたりもしました。
昼休みサッカー6年間の記録と思い出が詰まった超大作。これを作るのに2日間ほどパソコンにへばりつきました。その甲斐あってメンバーの反応は絶賛の嵐でした♪
遊びを企画して、それを文章で伝え、周囲を巻き込み、一緒に盛り上がりました
それと並行して、サッカー仲間たちでいろいろなマラソン大会に出場するようになりました。ここでもやはり
ただ走るだけではなく楽しもう♪
と考えた私は、これを競馬に見立てた遊びを企画しました。私はこれをダービーと呼んでいました。例えば『丹沢湖マラソン』であったら『丹沢湖ダービー』、『西湖ロードレース』であったら『西湖ダービー』といった感じです。
良い仲間たちに恵まれて本当に楽しいサラリーマン生活でした(筆者は前列右端)
そして出走者に競走馬のようなニックネームをつけて出走表を作り、職場の皆さんに予想してもらうというゲームです。もちろん私も出走者の一人で、自分には『オキラクサラリーマン』という名前を付けました。その他にも
『ノミカイテイオー』
『チュウネンルドルフ』
『キマグレコンコルド』
『ヨイドレタグホイヤー』
『オークラヘタレオー』
『オーザケトップレディ』
などなど、個性的な仲間たちが20名ほどいました。それにしても今になって見返してみても我ながらナイスなネーミングセンスです(笑)
『第2回丹沢湖ダービー出走表』こういう表を作っている時には楽しくて楽しくて♪マジでニヤケまくってました(笑)
そして出走者のプロフィールや練習の様子、調子、意気込みなどを脚色をたっぷり盛り込んで面白おかしく何回かに分けてレポートし、もちろんレース後には詳細な結果レポートも書きました。ダービーは6回ほどやったのですが、職場全体を巻き込む(非公式ですが)一大イベントとして大いに盛り上がりました。
この時経験した
自ら動き、企画して仕掛け、周囲の方々を巻き込んで、一緒に盛り上がっていくこと
それを文章で伝え、読んでもらい、共感してもらい、行動してもらうこと
というのは、私にとって何モノにも代えがたい“やりがい”そしてまさに“悦び”でした。
私がサラリーマン時代に経験したことで、現在の仕事に一番活きているのは、実はこういったお遊びから得た学びだったのです。
そしてこのようなお遊びの経験を通じて、かつては文章を書くのが大嫌いだった人間が、いつのまにか文章を書くのが大好きな人間になっていました。
私が前の職場を退職する時には、サッカー仲間からこのような表彰状を頂戴しました。私の宝物です。(藤本は私の昔の苗字です)
続く
自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』への道 パート1
子供の頃、国語の授業で作文を書かされるのが“超”苦手でした
しばらく思いつくまま自己紹介を書いています。『お前の自己紹介なんかに興味はない。』と言われそうですが(苦笑)もし多少なりともご興味がおありでしたらお付き合いくださいませ♪
ちなみにこの記事を書くために探してみたら、小学校5年生の時の作文が見つかりました。お恥ずかしながらご披露します。
『東洋工業見学記』とあります。東洋工業(現在のマツダ)の工場見学をさせていただいた際の感想文ですね。原稿用紙で4枚のボリュームです。ちなみに『藤本克幸』は私のかつての苗字です。懐かしい。
冒頭の部分をご紹介します。
学校の校門から下へ下ってバスをまっていたらきました。バスガイドさんが、とてもおもしろかったです。呉の中をとおって、それからしばらくしたら、下うけ工場がありました。東洋工業につきました。しばらくまっていたら、案内のおじさんが、こられました。東洋大はしをわたった。
箇条書きのような駄文ですねぇ。語尾も『ですます調』が続くのに、最後だけは『わたった』と『である調』になっており統一されていません。リズム感が悪く、下手な文章の見本と言っても良さそうです。しかも最後の東洋大“はし”は、きちんと“橋”と漢字で書きたいものです。
いくら小学校5年生とは言え、これはちょっと情けないです(苦笑)そしてこの後もダラダラとやる気のない文章が続きます。読んでて赤面ものです。そして極めつけに最後の部分をご紹介します。
思ったこと、感じたこと 中は、とてもうるさかったです。決まった仕事をしていればいいのだから、かんたんだと思いました。
↑我ながら何て上から目線で失礼な文章なのでしょう(汗)見学させていただいた事に対する感謝の気持ちが全く感じられません。
工場見学の作文って、案内してくださった方のところに、先生のお礼状と一緒にコピーが送られたりするじゃないですか。もしそうだとすると、東洋工業さんにはとても失礼なことをしたものです。
時効とは言え冷や汗ものです(苦笑)
こんな調子で、作文は超苦手でした。そして作文嫌いはそのままずっと継続し、学生時代、そして社会人になっても相変わらずでした。
サラリーマン時代に受けたカルチャーショック
サラリーマンになったら『報告書』なるものを書く機会があります。ある時、私なりに考えて報告書を書いたところ、直属の上司からこう言われました。
『報告書というものは一目見て何が書いているか分かるようにしないとダメだ。まずは冒頭に結論を書け。そしてその結論に至った根拠を書け。それが社会人の文章というモノだ。』
真っ赤に添削された通りに直してみると、はるかに分かりやすい報告書になったので、悔しかったですけど、とても勉強になりました。
次の機会の話です。
前回の反省を生かして最初にバシッと“結論”を明記した報告書を作り、直属の上司のところに意気揚々と持っていきました。『これなら文句ないでしょ!』のノリでした。そうしたところ、
今度は私の想像をはるかに超えるコメントが返ってきたのです。
『結論が強すぎる。もうちょっとぼかした書き方にしておかないと、何か問題が生じた時に、他部署の人間からこの報告書を盾に突っ込まれたら、墓穴を掘るぞ。そうなったらお前は責任とれるのか?』『全文書き直し!』
まさにサラリーマンの世界の大人の事情というヤツを目の当たりにして、この時ばかりはマジで眩暈(めまい)がしそうになりました。そして改めてこう思いました。
『俺やっぱ文章書くの嫌いだわ~(涙)』
そんな私が文章を書くのが好きになったワケ
それは全く予期せぬ形でやってきました。下の写真がそのきっかけに関連しています。ちなみに私は前列右端です。今と比べて随分と若いですねぇ。
続く
私の体の中には真っ赤な血が流れている
しばらく思いつくまま自己紹介を書いてみます。『お前の自己紹介なんかに興味はない。』と言われそうですが(苦笑)もし多少なりともご興味がおありでしたらお付き合いくださいませ♪
私は広島カープの大ファンです!
昭和50年(1975年)私の生まれ故郷のプロ野球チーム広島カープは、創設25年目にして初優勝しました。万年最下位と言われた地元チームの栄誉に、広島県民は空前の盛り上がりとなりました。
それまでプロ野球に全く関心の無かった私も、親たちと一緒になってカープを応援するようになったのはごく当然の流れだったと言えるでしょう。今でも子供の頃の一番の思い出と言えば『カープ初優勝』。不思議なもので小学校5年、6年の時の思い出がそれほどはっきり残っていないのに、小学校2年生の時のあの出来事だけは今でもはっきりと覚えています。
小学校2年生の時のクラス写真。男子13名中5名が赤い帽子です。私は最後列で背負われています。
広島カープの黄金時代=私の青春時代
その後広島カープは毎年のように優勝争いを繰り広げる強豪チームとなりました。
広島カープの6回の優勝と私の学年を列挙してみます。
昭和50年 小学校2年生 セリーグ優勝
昭和54年 小学校6年生 セーグ優勝&日本一
昭和55年 中学校1年生 セリーグ優勝&日本一
昭和59年 高校2年生 セリーグ優勝&日本一
昭和61年 大学1年生 セリーグ優勝
平成3年 大学院2回生 セリーグ優勝
こうして見ると私の青春時代とカープの黄金時代がぴったりと一致しているのがお分かり頂けると思います。そして私が社会人となって広島を離れたのが平成4年ですから、それ以降カープは一度も優勝していないことになります。
私が広島を離れて24年になります。そしてカープが優勝から遠ざかる事もまた24年。かつて強豪チームだったカープもすっかり弱小球団に逆戻りしてしまいましたが、もちろん今でもカープの大ファンです。
私の体の中には真っ赤な血が流れています
当たり前の話ですね(笑)
香川に住むようになって13年になります。カープの試合の結果はインターネットで逐次チェックしています。いやはや便利な時代です。土日にはデーゲームである事が多く、仕事(接客)中に、ちょこちょこオフィスのパソコンの前に戻っては速報をチェックしている不謹慎者です(苦笑)
そして広島までは車で3時間程度ですので、毎年1回は定休日を利用してマツダスタジアムに応援に駆け付けています。ちなみに今年は5月25日(水)のジャイアンツ戦に参戦予定です!
昨年黒田のレプリカユニフォームも購入しました。もちろん5月25日には着ていきます♪
もちろん自宅の敷地内には鯉のぼりも泳いでいます♪
・・・って、これは別にカープを応援してのものではなく、息子の為ですね(笑) 長男『コースケ』についても、いつかこのブログで書きたいと思っています☆
それでは今回はこの辺りで。