新・快眠生活zzz

自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』が徒然なるままに書きます。お店や取扱い商品のPRは基本的に一切なしです。

妻のこと、息子のこと その1

しばらく思いつくまま自己紹介を兼ねて身の上話を書いています。『お前の身の上話なんかに興味はない。』と言われそうですが(苦笑)もし多少なりともご興味がおありでしたらお付き合いくださいませ♪

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妻・石川裕美はカネボウの化粧品研究所に、私の6期後輩として入社してきました。部署が隣(私はポイントメイクアップ、妻はスキンケア)で仕事上の接点はほとんどなく、しばらくは存在を知っているだけの人でした。

 

彼女が入社してきて2年目の夏、共通の知人を介してアウトドアに行くことになり、そこで妻と初めて話をする機会がありました。私はとても人見知りで、相手の性別を問わず、打ち解けるのにかなりの時間を要するたちです。それなのに何故だか妻とはすぐに意気投合(?)し、間もなく付き合う事になり、程なくして結婚を意識するようになりました。

 

そこで妻から実家の西部製綿の事を聞きました。妻は3姉妹の真ん中。3人のうち誰かが後を継がなければならないという環境で育ちました。ちょうど私たちが知り合った頃、お姉さんがお嫁に行った(西部製綿の後を継ぐことができなくなった)ばかりでした。責任感の強い妻は実家のことを真剣に考えていました。その想いを知った私は『よし分かった。』と一言でその件(西部製綿の後を継ぐ)を了承した・・・というのが実際のところです。

 

妻は、私のあまりにあっさり過ぎる態度に『最初は半信半疑だった。』と・・・随分後になって教えてくれました。

 

実際のところカネボウ化粧品研究所の仕事は、やりがいのあるものでした。そして何より職場の人間関係にも恵まれ、仕事にプライベートに何の不満もない楽しい生活を送っていました。理屈で考えたらそのままカネボウに残った方が良いに決まっています。でもその一方で『自分の人生このままで良いのかな?』という想いは心の中でくすぶっていたのもまた事実です。『新しいチャレンジも良いかな?』と思いました。

 

それと、もし西部製綿という会社がダメになったとして、無一文になったとして、いわゆる四畳半一間の生活になったとしても(自分で会社を経営する立場になるということは、そういったリスクも考えないといけないと思うのですが)

『もし無一文になっても、この人と一緒なら幸せに暮らしていけるだろう。』と心底思えました。
そう考えたら怖れるものは何もなかったです。すっぱりと前向きに『婿養子として西部製綿を手伝う』と決断が出来ました。

 

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 私たちは平成13年の4月に結婚し、そのまま2年間カネボウ化粧品研究所に勤め、平成15年の7月に退社し、8月に西部製綿に入社しました。

 

 

妻のキャラクターがよく分かる一つのエピソードをご紹介します。

 

結婚して間もなくのこと。私たちはサッカーの国際大会『日本VSサウジアラビア』の試合を観戦していました。ちなみに私は大のサッカーファン。妻はサッカーに極めて無関心。なのにその日は妻も私と一緒になって一つ一つのプレーに『ワー』とか『ヨッシャ』とか歓声を上げながら真剣に見ている様子。私も内心『これで妻もサッカーに関心を持ってくれたかな』と思っていた矢先。前半15分くらいだったでしょうか。妻がこう質問してきました。

 

『ねぇねぇ、ところでどっちのチームを応援してるの?』

 

日本とサウジアラビアのどちらを応援しているか?なんてサッカーのことを知っているとか、関心があるとかとは全く次元の違った話ですよね。

 

そうなんです妻は天然ボケなのです。

 

天然ボケにして、おっとり暢気。しかし根はとてもしっかりしている。そして常にプラス思考。そして何より家族思い。慣れない環境で仕事をしている私を、決して出しゃばることはなく、でも私が突っ走りすぎた場合には上手くブレーキを掛けてくれ、常に日に陰にサポートしてくれました。

 

わりと感情の起伏の激しい私に対して、いつものんびり動じない妻。嫌な事があってカリカリしている私の横で、まるで春風に吹かれているように平然としています。そんな妻がいたからこそ、私はこうして見知らぬ香川で13年間もふとん屋を続けることができたのだと思っています。

 

(続く)